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2015.07.03 【大山街道NO1】下見

公開日: : 最終更新日:2015/07/09 未分類

大山街道NO1
平成27年7月3日(金)雨時々強
山行予定日平成27年8月9日(日)
東京メトロ南北線・地下鉄半蔵門線永田町駅紀尾井町方面改札口9a出口階段上8時30分集合
永田町→赤坂御門跡8:47→豊川稲荷8:56→牛啼坂→高橋是清翁記念公園→外苑前→善光寺→表参道駅前9:58→青山学院→金王八幡神社→渋谷駅(八チ公)10:27→道玄坂上10:35→上目黒大阪→氷川神社→目黒川大橋→池尻稲荷神社11:21→三軒茶屋→環状七若林→世田谷代官屋敷→大山街道旅人の像→用賀追分→東急田園都市線用賀駅→東名高速道路下(中田橋)→環状八号瀬田→行善寺→調布橋道標→二子の渡し(野川)246号に戻る
http://www.ktr.mlit.go.jp/kawakoku/ooyama_hi/
由緒は末尾に掲載
赤坂御門8:47                                  赤坂見附跡
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首都高速道路と弁慶橋                              ホテルニュー大谷伏見宮邸跡
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左赤坂プリンスホテル旧白川宮邸跡、青山通りを西に坂を上ると豊川稲荷8:56
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豊川稲荷                                        左に渡って豊川稲荷
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青山通りを左に大山街道牛鳴坂                   坂を上って行くとなでか駱駝
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青山通りから薬研坂を下り、右の上ると高橋是清翁記念公園内に高橋是清翁像
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高橋是清翁記念公園
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青山通り、御苑東通り、青1交差点から赤坂御用地・東宮邸・秋篠宮邸・三笠宮邸・寛仁親王邸・高円宮邸   明治神宮外苑いちょう並木9:33
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スタジアム通り合流                                    青山通り
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北青山三丁目 善光寺                               明治神宮表参道9:58
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青山学院大学西角を左に首都高速道路を跨ぎ、金王八幡神社参詣、JR渋谷駅ハチ公像周りは日本語の通じない観光客10:27
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道玄坂を南西に上ると道玄坂碑10:35        旧山手通りを過ぎると、玉川通りに大阪上
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上目黒氷川神社鳥居下に             大山道の道標
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氷川神社拝殿               大橋ジャンクション下を玉川通り左側400m
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大山街道に入る11:15             旧大山街道の標識の立つ池尻稲荷神社
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池尻稲荷神社11:21
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投稿者
仕事のためここで離脱する

史跡 江戸城外堀跡 赤坂御門
正面にある石垣は、江戸城外郭門のひとつである赤坂御門の一部で、この周辺は「江戸城外堀跡」として国の史跡に指定されています。江戸城の門は、敵の侵入を発見する施設であるため「見附」とも呼ばれ、ふたつの門が直角に配置された「枡形門」の形式をとっています。赤坂御門はその面影をほとんど残していませんが、現在でも旧江戸城の田安門や桜 田門には同じ形式の門をみることができます。赤坂御門は、寛永13年(1636)に筑前福岡藩主黒田忠之により、この枡形石垣が造られ、 同16年(1639)には御門普請奉行の加藤正直・小川安則によって門が完成しました。江戸時代のこの門は、現在の神奈川県の大山に参拝する大山道の重要な地点でもありました。明治時代以降、門が撤廃され、その石垣も図のように大部分が撤去されましたが、平成3年に帝都高速度交通営団による地下鉄7号線建設工事に伴う発掘調査によって地中の石垣が発見されました。現在、この石垣の下には、発掘調査によって発見された石垣が現状保存されています。千代田区教育委員会寄贈 帝都高速度交通営団

高橋是清翁記念公園の沿革
この公園は、日本の金融界における重鎮で大正から昭和初めにかけて首相、蔵相などをつとめた政治家『高橋是清』翁(1854年~1936年)の邸宅があったところです。翁は、昭和11年(1936年)2・26事件によりこの地において83歳で世を去りました。
翁の没後、昭和13年(1938年)10月高橋是清翁記念事業会がこの地を当時の東京市に寄附し、昭和16年(1941年)6月東京市が公園として開園しました。その後、昭和50年(975年)港区に移管されたものです。第二次世界大戦の空襲により翁にゆかりのある建物は焼失してしまいましたが、母家は故人の眠る多磨霊園へ移築されていたため難を免れ、現在は都立小金井公園にある江戸東京たてもの園へ移されています。戦時中撤去されていた翁の銅像も昭和30年(1955年)に再建されました。現在の面積は5,320㎡で、国道246号線の拡幅等により開園当初よりやや減っていますが、和風庭園はほぼ当時のままの姿で残されています。園内は池を中心として石像や石灯籠が配置され、樹木はかえで、もっこく、うらじろがし、くすのきなどたくさんの種類があり落ち着いた雰囲気をかもしだしています。平成七年 港区

右に神宮外苑のイチョウ並木前。両側の歩道は、落ち葉の季節になると黄金の絨毯を敷き詰めたようになる。正面の建物は、聖徳記念絵画館だよ。734m先
イチョウ並木の左側は、秩父宮ラグビー場、その奥に神宮球場がある。

銀杏並木 いちょう(銀杏・公孫樹)
銀杏は、現存する最も古い前世界の植物の一つです。地質学上古生代の、末期(一億五千万年前、巨大な恐竜が棲息していた時代)に地球上にひろく分布し、生育していた樹種です。 従って、その化石の発見は極地より南北両半球、中国・日本にまで及んでおります。氷河期の到来により、多くの地方では、銀杏樹は絶滅しましたが、温暖な気候を保ち得た中国では 死滅を免れ、生育を続けて現在に至っております。日本の銀杏は、この中国より渡来した樹種で、現在では街路樹・防火樹・庭木としてひろく植えられており、「東京都の木」ともなっております。現在では東南アジア以外ではほとんど 植えられておりません。並木の総本数は146本(雄木44本・雌木102本)

四並列の銀杏の大木が作り出した、世界に誇り得る銀杏並木の景観。これを通し、正面に白亜の絵画館を望む人工自然美の素晴らしさ。若葉・青葉・黄葉・裸木と四季折々の美しさ。長年にわたる管理、手入れの良さが見事な樹形を作り出しております。この、明治神宮外苑は 大正十五年(1926)十月二十二日の創建でありますが、その苑地造成に当たり、青山通り正面からの直線主要道路は、左右歩道の両側に植樹帯を取り、銀杏樹をもって四条の並木を造成することになりました。これは、銀杏樹が、樹姿端正・樹高よろしく・緑量も豊富・気品高く・公害にも強く威厳を保ちつつ年間を通しての来苑者に好景観を呈示し、外苑の広幅員街路の並木として 最適なものとの考えによるものです。
この外苑の銀杏樹が、この世に実生えたのは、造園界の泰斗・折下吉延博士(外苑造成時の庭園主任技師・昭和四十一年八十六歳で没)が、新宿御苑に奉職中の明治四十一年(1908)新宿御苑在来木の、銀杏樹から銀杏を採集し、これを種子として代々木の宮内省南豊島 御料地内(現在の明治神宮内苑)の苗圃に蒔いたことによります。その後、苗圃の木々はすくすくと成長し、その数一六〇〇本にもなりました。外苑造成に当たり、この銀杏樹を採用することとなり、既に樹高六メートル内外に成長していた、これら多数の中より候補樹を選抜し、更に並木として適格になるよう、年々樹形を整えてきたものを、大正十二年(1923)に植栽したものです。直路四条の並木と、途中西折して女子学習院正門(現秩父宮ラグビー場)に至る二条の並木も同時に植えられております。最高二十四メートル・目通り周り二メートル八十センチ、最低十七メートル・目通り周り一メートル八十センチのものを、樹高順に青山口より降り勾配に従って植えられております。絵画館を望む見事な遠近法の活用です。

この銀杏が、苗圃で実生えてより実に八十有余年、外苑に植栽されてより早や七十年、このように雄大に・見事な樹形を保ちつつ成長しております。銀杏樹は植生の環境、手入れが適当であれば、その成長量がいかに偉大であるかを、如実に物語っております。樹木の運命は、その立地の適不適によって決められるものでしょうが、よき所で、よく育てられよき場所に植えられた樹木ほど幸福なものはないでしょう。同じ時期に、同じ苗圃で育てられてきた、これら多くの兄弟木は、世にも希なる幸福な樹木と言えましょう。 今後幾百年、これら兄弟木の銀杏は成長に生長を続けて老大成し、その偉大なる勇姿を発揮 し、外苑々地と融和し、我々に見事な人工自然美を楽しませてくれることでしょう。

平成御大礼の日 之を建つ 平成二年十一月十二日  明治神宮外苑このエピソードをパパに読んでもらったボクたちは、ちょっと感動しました。

道玄坂
江戸時代以来、和田義盛の子孫大和田太郎道玄がこの坂に出没して山賊夜盗のように振る舞ったとの伝説がありました。しかし本来の道玄坂の語源は、道玄庵という庵(いおり)があったことに由来すると考えられます。
平成16年度                   渋谷区教育委員会
与謝野晶子の歌碑
母遠(とほ)うて瞳(ひとみ)したしき西の山 相模(さがみ)か知らず雨雲(あまぐも)かゝる

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