2014.04.05 【身延山久遠寺のしだれ桜】
公開日:
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最終更新日:2014/04/09
東ハイ下見
平成26年4月5日(土)晴
身延山久遠寺のしだれ桜
枝垂桜 有名な久遠寺の枝垂れ桜は毎年3月下旬~4月上旬にかけ境内に樹齢400年ともいわれる枝垂桜と久遠寺周辺数百本の桜が咲き乱れる。
身延山久遠寺とは
鎌倉時代、疫病や天災が相次ぐ末法の世、「法華経」をもってすべての人々を救おうとした日蓮聖人は、三度にわたり幕府に諫言(かんげん)を行いましたが、いずれも受け入れられることはありませんでした。当時、身延山は甲斐の国波木井郷を治める地頭の南部実長の領地でした。日蓮聖人は信者であった実長の招きにより、1274(文永11)年5月17日、身延山に入山し、同年6月17日より鷹取山のふもとの西谷に構えた草庵を住処としました。このことにより、1274年5月17日を日蓮聖人身延入山の日、同年6月17日を身延山開闢の日としています。日蓮聖人は、これ以来足かけ9年の永きにわたり法華経の読誦と門弟たちの教導に終始し、1281(弘安4)年11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山久遠寺」と命名されました。境内に樹齢400年を超えるしだれ桜が2本あり、1本は祖師堂の前を彩るように薄紅色に咲き誇り、もう1本は来客殿の前で大きな枝を支えながら花を咲かせます。周囲の山々に枝垂れ桜、紅しだれ桜が咲いた景観には圧倒されます (観光協会より)。
勝沼ぶどう郷から白根山 甲府城址富士身延線甲府駅ホームから10:42
武田家が滅亡後、織田家に甲斐の国は支配されるものの、信長が本能寺の変で斃れた後は徳川家の領土と変わり、家康の命で甲府城の築城を開始。しかしその後豊臣政権になり家康が関東に移封されると代わってもともとの豊臣系の大名が入り、豊臣秀勝、その後加藤光泰、浅野長政・幸長父子と続き、浅野時代に完成をしたと伝わります。徳川政権後は徳川氏の一族の家系などが入りますが、甲斐ゆかりの柳沢吉保・吉里の後は幕府の天領となった
富士身延線身延駅12:28 総門
総門 久遠寺の最初の入り口、28世日奠上人建立。36世日潮上人の書による「開会関」の扁額は全ての人々が法華経のもとに救われる関門という意味、ここから聖域に入る。
門内商店街(門前町) 三門13:01
三門 間口5間、奥行2間、高さ7丈。日本三大門の1つに数えられることもある。二王門ともいわれ金剛力士を祀り、上層には十六羅漢を祀る。三門を入り右側には本多日生上人像、その横に宮沢賢治の句碑がある。左側には永田紀美(大映社長永田雅一の母)の銅像があり、その後ろに聖徳太子を祀る太子堂がある。三門より菩提梯までの間に日朝上人お手植えの杉並木がある。
三門前に建つ開山日蓮大菩薩碑 南部実長公銅像
身延山は甲斐の国波木井郷を治める地頭の南部実長の領地でした。日蓮聖人は信者であった実長の招きにより、1274(文永11)年5月17日、身延山に入山し、同年6月17日より鷹取山のふもとの西谷に構えた草庵を住処としました。
菩提梯を見上げる13:05 菩提梯を上から13:15
菩提梯 菩提=覚り、梯=かけはし。横の銅像は当時の地主南部実長(通称波木井公)。横の坂が男坂。その手前の坂が女坂三門から本堂へと続く287段の石段。登り切れば涅槃に達するという意味の梯は、南無妙法蓮華経の7字になぞらえ、7区画に分けられている。http://www.kuonji.jp/kuonji/map/bodaitei.htm
五重塔 大本堂13:16
五重塔 現在の五重塔は3代目で2008年竣工、大成建設施工。2009年に落慶法要が行われた。初代の塔は加賀前田利家の側室寿福院の建立による。
本堂 1985年(昭和60年)落慶。本尊は日蓮聖人真筆大曼荼羅本尊を木造形式にしたもの。冬季6時、夏季5時30分より朝の勤行が執り行われる。天井画の墨龍は加山又造の作。
祖師堂 報恩閣前のしだれ桜樹齢400年
棲神閣祖師堂 日蓮聖人像を安置。申し込みにより開帳が行われる。明治14年建立、一部用材はかつての鼠山感応寺のもの。特には昭和天皇より下賜された「立正」の勅額あり。
報恩閣 2002年(平成14年)立教開宗750年を記念し、信徒の受付業務、接待所として建立。2階は会議室。
開基堂 報恩閣前身延山高校生の野だて接待
開基堂 日蓮を身延に招いた波木井実長を祀っている。身延町指定文化
新客殿のしだれ桜 拝殿
大客殿前 仏殿
仏殿 仏殿では朝、昼12時、夕方3時からの勤行と特別法要を営む建物。
波木井川下流 波木井橋から3分右に鏡圓坊花の寺の石柱14:36
波木井川右岸の田圃の中14:42
ここからバスでJR富士身延線身延駅15:00
奥の院には父が亡くなる前、地元で生まれ育った95年の生涯初めて上ったという思い出の奥の院、東ハイ山行では歩いて上って西谷に下った。が今回は時間がなく残念、今度はブッポウソウを聴きに来たい。
奥之院思親閣 久遠寺裏山身延山山頂にあるお堂。日蓮は望郷の念おさえがたく、折にふれては身延山の頂上へ登り故郷房州(千葉県)安房の両親・師道善御房を思い回向した場所で古来は東孝閣とも呼ばれ現在は親を思うお堂思親閣と呼ばれている。また日蓮聖人自らお手植えと呼ばれている四本の杉も今でも育っている場所でもある。日蓮滅後、加賀前田利家側室寿福院の外護により堂宇が建立される。育恩の祖師と呼ばれる日蓮聖人像、六老僧像、参十番神、常護稲荷大菩薩、草分稲荷大菩薩、子安八幡大菩薩を祀っている。境内には京都深草元政上人が自らの髪の毛を埋めた元政塚がある。登山道には太田道灌墓所、各戦国武将墓所、鬼子母神堂、丈六堂、三光天子を祀る三光堂、日朗上人お手掘の井戸、養珠院お万の方寄進東照宮等がある。裏参道を下ると追分帝釈天を祀る感井坊、妙法両大善神を祀る十万部寺、七面山麓赤沢集落、身延山方面では妙石坊方面へ下ることが出来る。現在はロープウエイにて片道7分で標高1153mの山頂に着くため半分登山、半分ロープウエイという参拝者、登山者が増えてきている。晴れていると富士山、西伊豆、南アルプス、北岳、七面山、甲府盆地、八ヶ岳等が望める。元旦の御来光、春秋のダイヤモンド富士が鮮やかに望める場所でもある。平成23年11月思親閣境内に東日本大震災犠牲者の慰霊供養塔が建立された。
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