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2013.06.22 【バラ・英連邦墓地】下見

公開日: : 東ハイ下見

平成25年6月22日
CL:平山亨 協力:佐野俊一郎・佐々木純子
6月23日(日)②バラ・英連邦墓地
京急弘明寺改札口集合→弘明寺公園→熊野神社→西光寺→中央公園→六ツ川一丁目公園(マルエツ)→横浜横須賀道路→六ツ川公園→英連邦軍墓地→こども植物園→児童公園→狩場トンネル→権太坂上→旧東海道権太坂→光陵高校→権太坂陸橋→庚申塚→今井川畔を下る→樹源寺→一里塚→保土ヶ谷本陣跡→JR保土ヶ谷駅 歩程9キロ 3時間

瑞應山 蓮華院 弘明寺。
今から1300年近く前、元正天皇の養老5年(721年)にインドの善無畏(ぜんむい)三蔵法師が渡来、それから17年を経て聖武天皇の天平9年(737年)、天下に悪病流行の際、河内和泉の国の僧行基が勅命を奉じて、天下泰平祈願のため全国を巡錫(じゅんしゃく)し、当山の浄域に草庵を作り、一刀三礼(一刀刻む毎に三度礼拝する)の至誠を尽くして彫刻祈願されたのが、現在の御本尊十一面観世音菩薩様です。嵯峨天皇の弘仁5年(814年)には、弘法大師が回国の際、一千座の護摩を焚いて庶民の除災招福を祈願したと言われています。そして寛徳元年(1044年)3月10日、光慧上人により瓦葺き本堂が建立されました。御本尊様の彫刻予想年代とこの本堂建立の年代がほぼ一致することから、この頃が実際の開山と思われています。鎌倉時代には「求明寺」と称されていたものを、観音経偈文(かんのんぎょうげもん)の中の「弘誓深如海(ぐぜいじんにょかい)」の「弘」の字をとり、「求」を改めて現在の弘明寺となりました。http://www.gumyoji.jp/about/index.html

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瑞應山 蓮華院 弘明寺 山門9:37           弘明寺本堂

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弘明寺跨線人道橋京急線を跨ぐ            弘明寺公園

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弘明寺公園

熊野神社
京浜急行線弘明寺駅下車、弘明寺観音堂口に出る、右に京浜急行線に沿って入る、弘明寺観音堂を左に見て先の跨線橋を渡ると、弘明寺公園階段を上って行く頂上近い道路に出る、左に曲がり右土手の細い踏み跡道を下ると階段状の住宅街に入る、石段を下ると右に、狭い敷地建つ「熊野神社」の社が建つ」狭くて拝殿全体がカメラに収ま力れない。参拝して50段ほど下りた所に「熊野神社」石柱が立っている。御祭神:不明

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熊野神社拝殿                        長い石段を下る

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熊野神社の石柱10:08                 西光寺は右に行く

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西光寺本堂                        四国八十八ヶ所大師霊跡お砂踏み

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四国八十八ヶ所大師霊跡お砂踏み

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四国八十八ヶ所大師霊跡お砂踏み
西光寺 西国八十八ヶ所霊場より勧請したお砂を踏み、各寺の本尊様を参拝ができます。上段に弘法大師像が祀られている

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住宅街を中央公園に向う                中央公園10:57

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中央公園

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中央公園

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平戸桜木道路を西へ                    この花何の花

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横浜横須賀道路                      六ツ川公園11:00

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六ツ川公園を北に上る                  英連邦戦死者墓地
*                                英連邦戦死者墓地の入り口です。
英連邦戦死者墓地 保土ヶ谷区「英連邦戦死者墓地」があります。本国政府の厚意によって提供されたこの土地には英連邦諸国、アメリカ合衆国、オランダ王国の各国民で祖国の為に生命をささげた人々が葬られています。この墓地の維持管理は英連邦戦死者墓地委員会が英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ共和国、インド、パキスタンの諸国に代って行っています。この土地には日本国政府の厚意によって提供されました。参観時間は、8:00AM~5:00PM迄1939-1945この共同墓地のには第二次世界大戦で亡った陸・海・空軍戦没者が眠っています

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墓参者駐車場11:57                    英国
入り口手前には 記帳所(左)があります

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石段を上がる                         INDIAN FORCESインド軍のお墓です

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最初の墓地を左に入る                   こども植物園12:06

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こども植物園入口から園内                 花菖蒲

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バラ園12:34~13:10昼食

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2人                             プリンセスミチコ

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これうさぎ・クマ                        園内で花菖蒲店

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展示された花菖蒲                     横浜市児童遊園地13:25

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遊歩道から                          狩場第一トンネル

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国道1号権太坂上13:37                 権太坂から旧東海道へ
権太坂JR東海道線の元町のガード下横の丁字路を左に曲がり、今井川に架かる現在の元町橋を渡ると、すぐ右手に権太坂(ごんたざか)の登り口がある。いよいよ旧東海道最初の難所と思うと気合が入るところである。権太坂は、長大な坂(2km弱)である。昔旅人が土地の老人に坂の名を聞いた所、自分の名前を聞かれたと思い権太と答えたことによると設置された案内板書かれている。下見は下ってきた。

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旧東海道権太坂                       光陵高校

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横浜横須賀道路横浜方面                旧東海道元町橋近くの庚申塔

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東海道線                           今井川

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旧東海道の弁財天王堂                 日蓮宗樹源寺
樹源寺 寺の縁起によると寛永年間(1624-1644)に、名前の由来となった大欅(けやき)の傍らに、日蓮宗総本山身延山久遠寺の末寺として、保土ヶ谷宿本陣の初代刈部(かるべ)氏の妻女妙秀尼により開山されたとのこと。大欅は700年の樹齢を誇ったが、排気ガス等により枯れ、昭和45年に伐採されてしまった。この大欅と白蛇の伝説が残されている。さらに進むと、右側に旧今井川に架かる旧元町橋はこの辺にあったという説明板があった。

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樹源寺山門から本堂                   国道1号から旧東海道へ
旧東海道分岐(保土ヶ谷2丁目交差点)今井川沿いにある保土ヶ谷宿の京方見附跡を後にして300m程歩くと、東海道(国道1号線)と合流する。合流して100mほど歩くと、左の写真の分岐点に着く。ここからは、右側の道が旧東海道である。大きな道標が出来ているので間違えることは無い。

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瀬戸ケ谷中橋一里塚跡                  上方見附跡もこの付近

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東海道保土ヶ谷宿の案内                仙人橋を渡ると外川神社

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保土ヶ谷橋側の保土ヶ谷本陣              JR保土ヶ谷駅15:04
慶長6年(1601年)正月、東海道の伝馬制度を定めた徳川家康より「伝馬朱印状」が「ほとかや」(保土ヶ谷町)あてに出されたことにより、保土ヶ谷宿が成立しました。東海道を往来する幕府の役人や参勤交代の大名は、宿場に設置された本陣に宿泊しました。保土ヶ谷宿の本陣は、小田原北条氏の家臣苅部豊前守康則の子孫といわれる苅部家が代々つとめています。同家は、問屋・名主を兼ねるなど、保土ヶ谷宿における最も有力な家で、安政6年(1859年)に横浜が開港する際、当時の当主清兵衛悦甫が総年寄に任ぜられ、初期の横浜町政に尽くしました。明治3年(I870年)に軽部姓に改称し.現在に至っています。 本陣が混雑した際、幕府の役人や参勤交代の大名は脇本陣に宿泊しました。保土ヶ谷に藤屋・水屋・大金子屋の3軒の脇本陣がありました。

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