2011.12.11 【岩殿山】下見山行
公開日:
:
最終更新日:2014/10/31
東ハイ下見
平成23年12月11日(日)【岩殿山】下見山行
集合:JR中央本線月駅改札口9時40分
交通機関:JR新宿駅11番線8時14分発ホリデ-快速河口湖1号乗車大月着9時34分
コ-ス:JR大月駅→岩殿山登山口→岩殿山頂→天神山→稚子落とし→大月駅 14時30分解散
歩程:4時間20分
参加者:佐野俊一郎・青山昌次・平山亨・佐々木純子・・井上美江子
岩殿山は初め、9世紀末頃天台宗の円通寺として開創されたと伝えられており、13世紀に入ると天台系聖護院末の修験道の場として栄えており、16世紀になって大名の領国支配制が成立すると武田・小山田両氏の支配を受けるようになった。築城は戦国時代の1530年代に武田氏の親族衆の扱いを受けた小山田氏によると考えられている。大月は武蔵国など関東地方へ至る街道が交差する地点に位置し、甲府盆地と異なる地域的まとまりをもっていた。小山田氏は初め武田氏に対抗していたが、永正6年(1509年)武田氏の傘下に入った。その後は軍事的に武田氏が相模の北条氏や駿河の今川氏、武蔵の上杉氏らと争った際の衝突地点となり、国境警備の役割を果たした。
東西に長い大きな岩山をそのまま城にしており全方面が急峻で、南面は西から東までほとんどが絶壁を連ね、北面も急傾斜である。東西から接近できるが、それも厳しい隘路を通らなければならない。各種の防御施設が配されたが、天然の地形のせいで郭も通路も狭く、大きな施設の余地はなかった。周囲には集落や武家館が点在していたと考えられている。天正10年(1582年)に織田軍が甲斐に侵攻したときに小山田信茂は織田方へ寝返り、岩殿山城へ落ち延びてくる武田勝頼を郡内に入れず、進退に窮した勝頼は天目山で自害した。武田家を滅亡させる事に深く関わった小山田信茂だがこの戦いののち、織田信長により処刑された。
江戸に武家政権を成立させた徳川家康は、幕府の緊急事態の際に甲府への退去を想定しており、江戸時代にも岩殿山城は要塞としての機能を保った。wikipedia

大月駅9:43

桂川右岸からの岩殿山9:55

桂川を渡る

岩殿山登山口10:00

岩殿山に登る途中の富士山10:07

岩殿山ふれあい館10:13

山頂への石段10:18

城門跡10:39

岩殿山山頂10:43

兜岩稚児落しへの案内

鎖場クラブツーリズムの登山教室11:38

131鎖を頼りにトラバース11:51

岩を鎖を使って登る11:54

痩せ尾根を天神山へ

稚児落しから岩殿山の展望、昼食12:48

浅利集落に下山13:58
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